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Cataphora

これまでのこと、これからのこと

わたくしといふ現象は -十年前に問はれる-

文学 感想

昼間、 実家の部屋の大掃除をしていました。

帰省してから掃除機をかけるくらいで何もせず、このまま見えない所を見ずに家を離れるのが怖くなったので、戻る前に頑張ってみました。
これもまた、見えない所で見たくない何かが跳梁跋扈されては困るからです。

埃アレルギーなので、暑い中全身隠すように長そで長ズボン そしてマスクを二枚重ねにしてかけました。マスクのありがたみに非常に感謝しています。

窓を拭いたり雑巾がけしたり、タンスの裏などを拭いたりして、汗ダラダラで1秒でも早くシャワーを浴びたいと思っていた掃除の終盤、机の下に置いてある小学校時代に使っていたボロボロの黒い鞄がふと目に留まりました。
扱いは悪く、傷だらけ。そういえばよく投げ捨てていたなあなんて思い出し、その鞄を手に取る。すると中に本が入っていることに気が付きました。
開けて見ると、当時の予定帳や国語のノート、担任とのやりとりが書かれた日記などがしまってある。この十年間できれいさっぱり忘れていた、小学六年生時代をしみじみと思い返しました。
色々読んでいく中、ひとつだけ気になるものがあったので紹介します。

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''人間は''

感想

人間は、その不完全を許容しつつ、愛し合うことです。
不完全であるが故に退け合うのではなく、人間同士が助け合うのです。
他人の行為を軽々しく批判せぬことです。
自分の好悪の感情で、人を批判せぬことです。
善悪のいずれか一方に、その人を押し込めないことです。吉野弘

吉野弘さんという詩人の、戦争を繰り返してはいけない気持ちを書いた詩

詩とかめったに読まないけど目が留まりました。好きな詩です。

有名なインドの言葉で

「お前は人に迷惑をかけているのだから他人の迷惑も許してやれ」
なんてのがあります。これに近いですね。
少し強制めいている気がしなくもないけどそれを受け入れる度量も必要ってことですかね?
深みがあります。

 

舟を編む

感想 映画

https://www.amazon.co.jp/dp/B00E8F42HK

馬締(松田龍平)という、名前通りの「真面目」な人間が、歳月をかけて辞書を造りあげる上での人生を描いた物語です。

馬締は対人に置いて不器用だ。それはコミュニケーションが得意ではないということだが、性格からなのか、又は自分の意思が相手にどうせ伝わらないなどと考えてそうなっていったのかもしれないが、、どうも自分と似ていると思った。そうみられたいからとかではなく、真面目ではないだろうが、不器用ではあると思う。
それに人に何かを伝えるのはへたくそだ。
「あるある・・・!」って共感しながら見てしまいました。

しかし、馬締は真面目ゆえに努力家である。
営業から辞書編纂部へ配属となった彼は、環境が変わってから少しづつ「動く」ようになっていきます。

言葉は生まれ、死んでいく。生きている間に変わっていくものもある 
言葉の意味を知るとは誰かの事を正確に知りたい、そして人と繋がりたい
という願望があるからだ。 
今を生きている人たちに向けて辞書を作らなければならない

これはこの作品の中に登場する「大渡海」という辞書のコンセプトとして挙げられていたものだが、馬締もきっとこの言葉に感化されていたんだろうと感じます。

恋文のエピソードなんかも、動きのひとつでした。
時代背景は1995年だが、「恋文」。映像で見ないと分からないが、それはこんな形式の手紙、戦国時代かよ(笑)といったような達筆かも分からない、そもそも読めないラブレター。
そして「読んでください」と渡しては、後日「こんなの読めるわけないじゃないっ!」と、キレられてしまうシーンは笑いなしには見てられない。かぐやさん役の宮崎あおい、迫真すぎた(笑)
それでも手紙じゃなくて、言葉で聞きたいだなんて、素敵でした。

ところで、言葉を扱う作品でありながら、映像として作ることができたのには、映画で見た辞書を造る過程と似ていて、洗練されつつも増やしていくようなものだと感じます。
「初めに言葉ありき」とも言うよう、「言葉」自体はコミュニケーションをとるための大事なツールです。これほど重要なものは他には無いと素直に思います。
ただ、言葉の用例採集の束が浮いた海に、馬締が溺れ、潜っていたように、言葉というのは触れたり感化していくたびに、与える、又は貰う影響というのはとても大きいというのを改めて感じました。だからこそ溺れないように言葉の舟を「編む」のでしょう。

人の「成し遂げる」という思いは、本気になればどれだけ時間がかかってもかまわないということ、今を生きる素晴らしさを馬締から学びました。
作中では15年の歳月が掛かっています。
若いうちに一生の仕事を見つけれただけでも凄いですし、何かに実直に努力しないといけないなと、最近を思い返して反省しています。

冒頭の方、馬締に自己投影をしてしまいましたが、分からないから興味を持つ、分からないから話をすると言ったように、もっと言葉を使わないとダメだな、喋らないとな~と感じます。

それは、言葉について知りたい、感じたい、使いたいという風に意識が進み、
やがて、人との繋がりになると思っている、又は信じているからです。
私自身もそうしたことを望んでいるんだなと気づかされました。
素敵な言葉を使える人間になりたいと切実に感じます。


良いメッセージが詰められた映画でした。

片方

朝起きてからずっと頭の左側だけがずきずきと痛む。

左の部分だけ痛いってことはきっと右だけが痛い場合もあるんだろうと思い、
そんなことを思っていたらふと「頭痛」について調べてみたくなった。

そもそも頭痛に関して、前提に、偏頭痛と熱によっておこるものがあるといった大雑把な事しか知らなかった。
調べて分かったことと言えば、「はっきりとしたことは分かりませんが」ということだった。

Wikipediaに書かれているのを一部抜粋すると「基本的には、すべての頭痛の原因は一つとされる。血液中のある物質による炎症反応ともいわれる」と書かれている。曖昧だ。

頭痛という体の痛みに対して、医学が目まぐるしい進歩を遂げている中でもいまだにはっきりとしたことがわからないっていうのだから、なんだか頭痛はこれからも大きな解明の課題として挙げられていくんだろうと感じる。
そんなことを考えていたら余計に頭が痛くなった。

左側が痛い場合は、血管の炎症と神経に刺激が加えられているこの二つが原因らしい。

対処法は冷やすことだと書いてあった。炎症だからそりゃあ冷やすよなと思いながら涼しい部屋でこれから途中で止めた映画を見る。

秋に浸かる

9月になりました、ね。

実家の近所、スーパーに買い物へ行くと青果売り場では大きな玉のスイカが並べられたスペースに旬の梨や桃といった果物が並べられるようになっていました。
梨が好きなので良く買ってしまいます。

秋を一気に感じます。今日は栗もみました。

秋は一番好きな季節です。特に11月。
木枯らしが訪れそうな時期は最高です。

ところで、京都は日本でも特に四季の彩を感じやすいですが、どうでしょう。
そして、中でも一番街並みが映えるのは、秋なんじゃあないかと思います。
普段ランニングする際は周りの景色をあまり見ませんが、この時だけは寄り道するのが毎年楽しいです。八ッ橋食べ放題というおまけも兼ねて。

普段いかない所と言えば、寺。
枯山水や庭園などの意匠がこらされた自然が見れます。
少しのお金は掛かりますが、値段以上の価値を感じることができます。

左京区圓光寺などの庭園は一度行きましたが、滅茶苦茶美しいです。
うっとりします。

暑さを敬遠した夏と違って、これからの季節、外に出て楽しもうと思った右京でした。

ストイックな可視化

感想 スポーツ

 

ある夏休み、「何か一つ目標を掲げてそれに挑戦してみよう」そう思ったとき、短期間でできそうな自分にとってのメリットは何だろうか考えた際「痩せる」ことが一番のメリットだと感じ、行動に移しました。途中で失敗もしましたが、意識と行動を改めて継続した結果、現時点で18㎏程体重を減らすことができました。
そこで今回、事実を振り返りつつ変遷を雑~に書いてみました。
これから痩せようと思う人とか、そうじゃない人でもこいつはどう痩せたのかと、実体験を記したので興味のある人はお読みください。

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Before Sunrise

感想 映画

http://www.amazon.co.jp/dp/B003EVW5VO

ひょんなことから知り合ったアメリカ人青年ジェシーとフランス人女性のセリーヌの、ウィーンでの夜のお話

この映画ではひたすらに「会話」が綴られているだけだというのに、つくりものであるのを感じさせない自然さを覚えたのは感動でしかなく、素敵だった。

人に頼ること無く自立して生きていくことの重要さを述べつつも、誰かを愛したり愛されるのは大切であると、セリーヌは語っていて、

一方

安定を選ぶことも必要ではあるが、それよりも何か大きなことにチャレンジして死ぬという人生もまた捨てきれないと、ジェシーも人生観を語っている。

真摯に自分の生きる道に向き合う姿には、共感だけではなく違う意見などを考えさせるきっかけになった。

大切なことは多いが、全てを選ぶことはできない。だから一つ一つ選んで決めていく。そんな当然の事を二人に確認させられたような気がする。

会話からは価値観の違いが様々と浮かんでいたが、二人とも素直で気取っていなく、相手を受け入れていた。
普段の私は取り繕う事が多い気がする。つまり、あまり内面を表に出さないのだ。
ブログを書いている今は、それを凄く後悔していることが多い。

話は変わるがニーチェの言葉に、主に夫婦については「会話が成り立つというのは、お互いを尊重し合っている証拠」という言葉を残している。どこかで読んだ。

尊重とは、目の前の人を大事にするという精神が働いている状態の事、だろう。
私は最近それができているのか、少し戸惑ってしまった。
人を尊重することに対して無理を感じるようならば、変わるべきは自分だろう。

この映画の二人は夜明け前に恋人になっていく(?)ものであったが、信頼というのは大事であり、そんなのを築けたらいいなと、うっすらと思ってしまう。

「夜明け前まで」という限られた時間の美しさの中には、相手を理解しようとする姿、ひと時の共有、自分の感情を表していて、多くの事に感動しっぱなしだった。

ひたすらに素敵だった。