Cataphora

これまでのこと、これからのこと

わたくしといふ現象は -十年前に問はれる-

昼間、 実家の部屋の大掃除をしていました。

いつもなら掃除機をかけるくらいで何もせず、このまま見えない所を見ずに家を離れるのが怖くなったので、戻る前に頑張ってみました。
これもまた、見えない所で見たくない何かが跳梁跋扈されては困るからです。

埃アレルギーなので、暑い中全身隠すように長そで長ズボン そしてマスクを二枚重ねにしてかけました。マスクのありがたみに非常に感謝しています。

窓を拭いたり雑巾がけしたり、タンスの裏などを拭いたりして、汗ダラダラで1秒でも早くシャワーを浴びたいと思っていた掃除の終盤、机の下に置いてある小学校時代に使っていたボロボロの黒い鞄がふと目に留まりました。
扱いは悪く、傷だらけ。そういえばよく投げ捨てていたなあなんて思い出し、その鞄を手に取る。すると中に本が入っていることに気が付きました。
開けて見ると、当時の予定帳や国語のノート、担任とのやりとりが書かれた日記などがしまってある。この十年間できれいさっぱり忘れていた、小学六年生時代をしみじみと思い返しました。
色々読んでいく中、ひとつだけ気になるものがあったので紹介します。

 

国語のノートに書いてあった文章です。
このページにだけ文章が書かれたのみで、他のページには赤線の四角で囲んだ中にテーマが書かれているのに、ここだけにはありません。
いったいこれは何なんだ?なぜ書いたんだ?
掃除の手を止め、しばらく考え込んでしまいました。

ところで、私の当時の文字は非常に醜い形をしているので、はてなブログさんの綺麗なフォントで改めて載せました。ご覧ください。

「ノートに書かれていた文章」

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆるとうめいの複合体)
風景やみんなといっしょにひとしく せはしく明減しながら
いかにも たしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です 
                             以上

「有機」といった言葉を当時の私が使えたかどうか、疑問に思ったので自分で考えた文章では無いと踏み、調べてみました。
どうやら、宮沢賢治の「春と修羅という作品の冒頭部分のようです。
ぶっちゃけこの手の文は谷川俊太郎とか宮沢賢治あたりだろうなって気はしてました。言い訳です。

ノートを振り返ると、宮沢賢治の作品については当時授業内で扱ったのは「クラムボン」とかだったので、なぜ授業でやっていなかったであろう「春と修羅」の文章を当時ノートに書き記していたのか全くわかりません。
この記事を書いている今も謎のまま。

ですが、十年が経ち改めて読んでみて、なんだか考えさせられる文だなと感じます。

宮沢賢治は、自分自身を「ひとつの青白い電燈」に置き換えていますが、「有機」とは生命力のことで、命あるものとして灯をともしているのだと言っています。
ですが、私が気になったのは「青白い」という表現。
私は、「命」に関する色を想像するとき、「白」はあっても、まず「青」は出てきませんでした。
命のイメージカラーは「赤」や「ピンク」が浮かぶのではないでしょうか。
なぜか不思議に感じます。
そこで、青という色のイメージについて何があるか考えてみました。
青は「若さ」や「落ち着き」、「清涼」、「知的」など浮かびました。

特に若さについて着目してみたら、人生の終わりへ向かうのが老いならば、裏を返せば若さの連続を、私たちは生きている限り送っているんじゃないかと感じ、これが言いたいのかなと思いました。

体は老いても、意識は深みを増して毎日新しくなっていくような気がします。

だから「青白い」のかな・・・?

勿論、単純に「電燈」に置き換える以上青白くなるだけであって、そこまで深い意味を捉える必要はないよっていうのも最もですが、始まりがあり、終わりのある人生は確かに「電燈」のように「いつかは灯が消える」というのは間違ってはいないのだから、私たちもまた青白い光であるなって感じがします。

青白い光にも温かみを感じる不思議な感覚です。ムズカシイですね。