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Cataphora

これまでのこと、これからのこと

顔あげろ(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

私は相手の目を見て話を聞いたり、話しかける際に「ガン見」してしまう癖がついている。今日もそのことを人に指摘されたが「目を見る」ことについて思うことがあるので書いていく。

コミュニケーションを取るときは、相手の目や表情を見て理解を示したり、心境や状況を把握するのは大事とされている。当たり前ではあるが、なかなかできない人は多いのも事実である。

「見ない」という選択は消極的な姿勢を相手に映しかねない行為だ。
見つめ合うと素直におしゃべりできないのは、サザンのtsunamiのような、恋愛面だけ充分である。

できなければ「コミュ障だ」などと判断されてしまいがちであり、社会とはとてもシビアなんだなぁと思わされてしまう。しかし、私も「コミュ障」の定義を挙げるなら「目を見れるか」はチェックポイントとして挙げるだろう。本当にシビアだ。

相手の目が見れないだけで、コミュ障だ、だの根暗だ、だのボロクソに言われるのはかわいそうだ。

つまりは、結局、他人に自己の感情や考えを表現することに抵抗を感じてしまっては、互いの理解に相違が生まれ、トラブルの元やぎこちない関係に終始してしまう。

これでは人付き合いが苦痛になり、時間も無駄に感じ勿体無い。

ではどうすれば良いのか?暇なので軽く考えてみようと思う。
まず、目を見ると緊張してしまう、固まってしまう人は「なぜ目を見なければいけないのか?」という点について考えて見ると良いだろう。
その点にフォーカスする機会はなかなか無く、意識しづらい部分ではある、
が、克服するために問題を知る上で大事なプロセスだ。

私が今の段階で答えを考えて見ると、「目は口ほどに物を言う」という言葉がヒントになると感じる。
この諺は、相手を知る手段として目を(顔色を)伺うと、説明いらずに真意や感情を理解することができる意味を持つが、まさにその通りと言えないだろうか。

人は会話(チャットでも)やアイコンタクトを通して相手をリアルタイムに理解していき、「百聞は一見に如かず」といった、一見逆説的な言葉(※1)がありながらも、視覚を通して得る情報の量と正確さが、情報を得る上で大事であることを裏付けている。

相手への共感や無視をしていないことを示すためでなく、相手を理解する姿勢を示すために、目を合わせるのは重要であるのだ。

ところで、冒頭に触れたように、ガン見してしまうほど目を見る癖が私についてしまった。真面目に考えて見たら、「A and B」ではなく、「A or B」しかできない性格だと思うので、相手が苦手で、目を見れないと感じたらとことん見ないし、見れる相手ならやはりガン見してしまう。「ガン見」と言われるのが、もしかしたら真顔で見ていたからなのかもしれないが、まだバランスがわからないのである。
これはこれでダメで、相手に変な印象を与えかねない。
他人との違いを測ることが難しい内容ではあるが、人や物事への興味関心が、他人より高いと感じる。ガン見してしまうくらい長い間目を合わせるのだから、いい裏付けかもしれない。気をつけたい 、温かい目と笑み。

昔に遡ると、中高時代の私は何かしらの委員長や部長など、代表として人の前に立って動く仕事を経験してきたが、それに到るまでの学校生活で嫌な思いを経験したこともあって、コミュニケーションをとることを非常に恐れていた節があり、苦痛だった。
その時の私は、まるでメデューサに射止められた石像のようだった。らしい(他人談)
相手の目を見た瞬間に固まり、頭の中で考えていた文章を光の早さで外に飛ばし、大勢の前でポカンと立ち尽くして恥ずかしい思いをした経験は一度や二度では無い。
そのような私でも、ガン見するくらいには(間違ってもガン見は良く無い、ダメ、絶対)相手の目を見てコミュニケーションをとることができるようになったのは、地味に成長したのでは無いだろうか。

是非とも顔を上げて、楽しくやっていこうと思う春先だった。

 

(※1):相手から「百聞」もしてれば内容の正確さと同じくらいに、文体から相手の様子や日頃の雰囲気、性格まで大体の検討はつくことはできそうではある。