Cataphora

これまでのこと、これからのこと

サボり

サボっていたので「お前そんなことしていて大丈夫なのか」と問われかねないくらい無駄なことに時間を使いがちだったので、蝶のように舞い、蜂の蜜を舐めるように緩急つけていく。プーさんなので。

さっき人生ってまるでテトリスだなあとか思っていたのだけれど、なかなか人生そのものを具現化しているルールしてませんか?

テトリスは上(将来から)ドンドン無遠慮に不均衡なブロックが一定の時間で降りるけれど、ブロックの高さによっては、その感じる速さ(ブロックの位置が固定されるまでの距離)って変わってくるよね。イコールとしてはゲームの終わりが近づくのだけれど、これは「ブロックの位置=人生経験やその都度の障害」に置き換えれるな〜ってふと思ったのが、テトリスの人生みを感じさせる発端だった。

あの四角の枠の中の体積が増すにつれて、ストレスが引き起こるのだけれど、そもそもそのブロックを敷き詰める枠を、たくさん用意し、枠が何を表しているかも明確にしておけば、「積んで、並べて、消す」というプロセスと、「テトリスは自分との戦い」という性格から兼ねて、積み重ねることの重要さが垣間見えるし、秩序が保たれることの美しさに気づかされるんじゃないだろうか。

 

即ち、我々は、その不平等さが、実は平等であることに気づいていないんじゃないだろうか?


ブロックの落下も、基本は逆再生しなければ2倍速もしないところは平等で、あれはシンプルにそうするとゲームの不公平さが出るからしてないのだろうけれど、誰しもが均等であることを暗に示せれる。もちろんテトリスはゲームだから「設定」によってそれを調節できるのだから、そうすることで自分への挑戦具合を高めることができ、そこも、人生について、自分でどうしていくか打開する力を養えるしその必要があるというのに気づかされる。

いや、俺は気付かされた。


あと、ブロックの形はランダム且つ出るタイミングが不自然なのも、どちらにも転ぶ変則的な性質を表しているから、先々に「うまくいけるかも」と思わせられるのは案外嫌じゃないなと感じるので、テトリスのルールは、人生のあらゆる機会や進め方について考えさせられるなあとしみじみ思った。
普遍的なブロックの形だって、あらかじめ「これが出るよ」と表示するものもあるのだから、全く周りは優しくないわけでもない。

だから予測を立てて、回り道(あえてブロックを積みあげ)をし、それを過ぎたところで一気にスピードを上げてクリアすることができる(まとめて列を消す)のも面白いなあと感じる。

最後の最後まで挑戦は終わらないし、機会は選べなくても、身に降りかかる出来事に対して自分の意思で対処する点とかが、やっぱりテトリスだなあ〜って思う