朝靄
ここ数年の目覚めの悪さ、寝付けの悪さって、夜更かしのせい?やりたいことが多すぎて、体一つじゃ足りないのを能動的に補おうとしているせい?
それもあるかもしれないけれど、はっきりと、違うと言える。
理由は、「人間関係」を起きてすぐにまたやらないといけないからだ。
そこに休日でも入れればいいが、今はできない。
ゲームの続きはセーブした所から始まっていく。「人間関係」もセーブした所から始まっていく。そして、現状はレベルが低いうちにボス戦前でセーブしたような状況が続いているわけである。もちろんワンパンで負ける。
幸か、不幸か、関わる人間関係の「数」自体は多くない。ただ、狭い分、一つでもギクシャクするとその輪はすぐに崩壊し、すぐに何倍もの苦労を重ねて修復と信頼を回復する時間へと費やされていく。公平に見て、たとえこっちが悪くなくてもだ。
人間関係というのは、それも社会において「利益を共有しなければいけない相手」というのは多少なりとも存在するわけで、これがとても厄介なんだ。
回復させる気が本心にはなくても、矢面に出せるほどの拒否は起こせない。
なぜだと思う?
....答えは、今の自分に生きる上でのあらゆる余裕さが「ない」からである。もしかしたら精神的に余裕なら、全ての面でへっちゃらかもしれないけれど、経験したことがないのでそれは憶測に過ぎない。
うん、恐ろしい。「ない」ってのは恐ろしいんだね。
逆に、あるのは溜まりたまった「不快」ばかりな気がしている。
不快な気持ちは、温かみはなくて、冷たい。そうなると、器の中の新鮮な空気を深い靄状態に変えてしまうのだ。しかもその冷たいってのが厄介で、身も心も冷めていく一方となる。
幸いにも換気はできているし、昼になれば温かいコーヒだって飲んでいるから、まだ救いがある。
でも、靄ってのが水蒸気が凝固した状態のことで、いかに小さな出来事が集まって一つの大きいマイナスが生まれているのだろうと考えると、やるべきことは「靄」がさらに冷たくなった「霧」になる前に、自分を「温める」ことだと思う。
そうしないと、靄がかかった中で、人のことを、その輪郭も何もないままに捉えてしまうだろう。
関わりたくなくても「今は」関わるしかない、というのは、果たして試練なのかな?
それって必要なこと?教えてエロい人。