Cataphora

これまでのこと、これからのこと

短編小説1

私は津軽の出身で、名前は田島春。


「すめばみやこ」という言葉があるように、18歳で上京するまで、私にとってはそこが都であり、そこにしか世界はないと思っていた。
マグロ、りんご、新鮮な空気、フォトジェニックな鮮やかな色々。
私の宝物はそこに全部あるし、それを独り占めしてきた。
けど、いい歳だし、世界をもっと見てみたい。
多くを見て、宝物の良さをもっと多くの人に知ってもらえる機会に繋がる何かに還元したい、と言う気持ちがあり、地元から出て進学することにした。

上京した私は国際系の学部ということもあり、海外関連のサークルに入った。
インドやバングラデシュラオスなどにボランティア活動を行っている学生団体で、そこには現地からの留学生も多く所属していたので、コロナが落ち着いたら行くであろう国々のこともたくさん聞けて、地元しか知らない私には異文化の世界を触れる最初のきっかけとして大きな刺激になった。

ただ、刺激には良いものもあれば、良くないものもある。

環境が変われば最初は無理も承知で頑張るけれど、津軽弁も抜け切っていない私の日本語は、
都会の温室育ちには伝わらないし、イジられてしまう。
蝉の鳴き声が重なる度に、イライラも募り、私はサークルからフェードアウトしはじめてしまった。

私の住むアパート「Casa Lausa」は大学の近くという事もあり、同じ大学の人が多く住んでいる。
最初こそ大学にいる時間の方が長かったけれど、サークルから身を引いた私は自室で課題やその他の勉強に時間を割くことが増えていった。
唯一同じサークルの人が一人だけいて、もう辞めようと思いバイトでも探そうかな・・・って思っていたある日、その唯一の一人に声をかけられた。
断るのも申し訳ないし、その人の家に上がる事になった。
彼はインドからの留学生で、名前をMadhavaditya(マドハヴァディティア)という。
最初は一回も噛まずに言えたことはなかったし、彼の話は1にカレー、2に文化、3にビリヤニだったから、正直最初のうちは早く部屋に帰りたかった。

ただ、先輩は私の話や、話し方をバカにせず真剣に聞いてくれるし、日本人と話すよりも居心地が良かった。先輩からしても、「たどたどしい日本語」をバカにせず聞いてくれる人がいてくれることで、一定の安心感を得ていたらしい。

この居心地の良さは、先輩が淹れてくれる「インドの紅茶」でさらに高まっていく。
なんの茶葉だったかは当時は聞かされてなかったけれど、講義で疲れた私と先輩にとって、このティータイムは夏でも本当に至福の時だった。
仲良くなると、お返しに私もありきたりな料理をわざと多めに作って「日本食だよ、食べてく?」と言って彼と食事を共にする日々を増やしていった。
彼の口に日本食は合っているらしく、「ちょっと濃いかな・・・」と思う味付けでも本当に美味しそうに食べてくれた。

そんな日々を送っていると、気がついたら私はマドと付き合っていた。

気がついたら付き合っていたくらいなので、告白とかそう言ったものはなかったけれど、やっぱり私も気になることはハッキリさせたい性分だから、
ちょっと恥ずかしいけれど「私のどこが好き?」と聞いてみた。

そうすると「トニカク。ナマエダネ。」だとマドは答えてくれた。
そこは方便でも性格とか言って欲しかったけれど、私も自分の名前は大好きだから、
国籍が違っても、語幹であったり響の良さを共感してくれたのは凄く嬉しかった。

知りたいことを知れて笑顔でいたら、マドは突然「タージマハル。縁ガアルネ。」
と畳み掛ける。
一瞬嫌な予感はしたが詳しく聞いたら、彼はスマホを見せてきた。
検索欄に「タージマハル」と記され、白い宮殿の画像が掲載されていた。

そう言えば新歓のとき、自己紹介をしたときに外国籍の先輩はみんな驚いていて、私は不思議に思っていた。
「インド人が本当にビックリしていたのはそう言うことだったのね・・・」

見かねたマドは、慌てて弁解を述べる。
どうやら彼の名前「マドハヴァティア」というのはインドの言葉で「春」というらしく、それはつまり私の名前と全く同じだったらしい。

もっと早く、なんなら初対面の時に言って欲しかった。

しかし、当時のマドからすればその時には漢字の意味までは知る訳もなく、新歓の自己紹介で突然「タージマハル」と言う単語が出て来たら、そりゃ意識はするし、そこから「ハル」と言う名前とその意味を調べたら「春」が出て、それが自分の名前と同じ意味を表している事を知れば、もう運命としか捉えるしかない、とのことだった。
それで私のことが気になったようだった。

同じアパートに住んでいるのは、後から来たのは私で、偶然だけれど、私もその運命とやらにあやかるのも悪くないなと思って、マドを許すことにした。

 

秋も終わりに近づき、冬になると、

私たちは以前よりも頻度多く一緒に過ごすようになった。

 

マドの紅茶好きはどうも本当のようで、今まで淹れてくれた茶葉についてそろそろ教えてよ、って言ってみると、マドは早口で説明してくれた。マドは紅茶オタクだった。
私が今まで飲んでたのはアッサムティーらしく、アッサム地方はマドの地元だった。
紅茶は美味しいけれど、人が住むにはあんまりいい気候ではないらしい。
だから来ない方がいいよ、とマドは力説してくれた。
地元が好きなのか嫌いなのか、よくわからない人だった。


私も「寒い以外はいいところだよ」といって、実家から送ってもらったりんごを出し、それを切ったりパイにしたりして、お互いの地元の味を懐かしんだり、楽しむ時間を多く過ごした。

「ボクはムガル帝国のアッサムティー。春はツガル帝国のアップルだね。」と言われた時はせっかく淹れてくれた紅茶を吹いてしまったけれど、ダジャレを言えるくらい日本語がメキメキ上達しているのを横に見て、素直に感心した。

もう年の瀬、最初はインド人を名前でビックリさせた私だけれど、マドの異国で頑張る姿勢や日本語の上達の早さには私が一番驚かされている。

ところで、私はどうだろう。
周りの変化に対して自分は何が変わっただろうか。何か変われただろうか。
もし何も変化がなかったとしても、
ちっぽけな自分はいきなり大きくなろうとしても、きっと無理だろう。


これから、何を積み重ねていくことでなりたい自分になっていくか、そんなことを少しずつ決めて、また来年横にいるインド人をビックリさせてやろうと思う。
そんなことを思いつつ、私は寝落ちした。