Cataphora

これまでのこと、これからのこと

人生で一番古い記憶 ペルー時代の後日譚

お題「人生で一番古い記憶」

 

「南米に住んでいた頃」の記憶を覚えている限り

おそらく当時2,3歳で、ペルーの首都リマから少し離れた地方都市に住んでいた 

そこは母親の実家だった

「水はそのまま飲めない」

上下水道については当然日本よりも遅れており、蛇口をひねれば水は出るが、決してそのまま飲むことは推奨されなかった

家の雰囲気は、窓には鉄格子がついており、当時はなんとも思わなかったが、今思えば「それくらい治安が悪い」んだと思う

外はガソリン臭かった 道路はそこまで舗装されてない

「日本人は珍しい」

肌の色が現地人からみたら白く、日系人もそこそこいたはずだが地元の人に珍しがられた 

よく家に知らない女の子がたくさん来ていたらしく、それが人生で最初で最後のモテ期だったのかもしれない

「白人の老人男性を見かけたら「クリントン」と呼んでいた」

クリントンと呼ばれる側も、自分が大統領と間違われるのはさほど悪い気がしなかったのだろう、南米特有の甘〜いお菓子をその度にもらっていた

(恐らく1997〜1999年ごろの記憶だが、当時ビル・クリントン氏が米国第42代大統領を務めており、僕がハッキリ覚えているくらいには、南米でもアメリカという存在は小さくなかったのだと思う またスペイン語に慣れるため毎日テレビを見させられていた)

ちなみに、そのお菓子は売り物だったらしく、おじいちゃんが後から代金を払いに行っていたらしい事を、10年以上後にカミングアウトされる

「テレビ」

テレビについては、アメリカの状況以外にも、ペルーでもドラゴンボールが放送されていた 親戚の兄ちゃんとよく見ていたのを覚えている

日本に来てからドラゴンボールを目にした時は、正直ペルーの作品だと思っていて誇らしく、日本のクラスメイトにそれを話したら嘘つき呼ばわりされ虐められた

なのでドラゴンボールは今でも見ないし読んでいない(とばっちり)が、それがきっかけで大阪から静岡へ転校したらしい 親から聞いたので本当かは知らない

「外出禁止」

発展途上国では常に政治情勢が不安定であり、当時のペルーも例外ではなく道を歩けばテロリスト、テロ関与の犯罪集団が潜んでいるのはごく普通だった

青年がいたら誘拐されるとかも時々あったらしく、教養のない左派から身を守るということが常に求められる緊張状態にあった 

また日本人であることは、現地人よりも危険と隣り合わせだったらしい
(ちなみに南米といえど「華僑」は当然あり、中華料理屋さんもそこそこあったが、中国人よりは日本人が狙い目だったとのこと 根拠を知りたい)

ボールで遊ぶことすらダメとされており、外出は常におじいちゃんと一緒だった

意外と知られていない事として、当時ペルーの大統領は「アルベルト・フジモリ氏」が任期を務めており、苗字の通り彼は日系ペルー人であった

外国で日本にゆかりのある人が要職に就いていた時代があった訳だが、実はこの時代、大使館がテロリストに占拠されるという大事件が勃発する

詳しくは

ja.wikipedia.org

こちらで確認できます

この記事ではやんわりとしか記載がないですが、母曰くテロリストと日本の大使は「結構仲良くなった」らしいです

そうせざるを得ない緊張状態が続いていたのだと思いますが、四ヶ月も一緒に生活すれば多少の関係性が変わるらしいですね

ソースを探しても見つからなかったのでこれは話半分ですが、テロを起こしたペルー人側が大使館職員に人生相談をしていたらしいです

また、これは、「ストックホルム症候群」と呼ばれる、人質が犯人を好意的に見る状態がありますが、逆に犯人が人質に対して好意的に見る状態を「リマ症候群」と呼ぶらしく、そのモデルケースとのことです

これを聞いて思ったのは、テロリストになる人たちって、それまでの人生で教育を受けたことがなく、人生においてもやはりチャンスを与えられない、得ることが無かった人たちなんだろうなと、感じました

等しく教育を受けるって、本当に大事ですね

 

「教会の近くのケーキ屋」

これは恐らくですが、首都リマの光景を断片的に覚えてるだけの話

教会というか黄色い西洋の建築が立ち並んでいる広場があるエリアで、その道沿いにあるケーキが本当に美味しかったのを覚えています

「黄色い」「西洋」「広場」と調べて見たんですけれど、どうやらこれ

「サン・フランシスコ教会・修道院」らしいです

en.wikipedia.org

リンク先は英語ですが、読める人はどうぞ

とにかくね、黄色いでしょ やっぱり本当にあったんですね

この近くに当時は恐らくケーキ屋さんがあり、しかも美味しかったのだろうという記憶が残っています

 

残念ながらケーキ屋の詳細までは調べても見つけれなかったですが、もう20年以上前の話なので無くなっている可能性もありそうですね

 

いつかは旅行で訪れたいと思い、昔を思い出してみました