Cataphora

これまでのこと、これからのこと

メッシュ

ドット絵熱が再燃する日々

12月にそれのフェスが千代田であるらしくて、行こうと思います。

ここしばらく趣味を失っていた(興味が失っていた)と言うような生活における楽しみのなさを送り続けるような危険な所から無事に脱せれたような気がします。

と言うのも人間関係が超絶疲れてきました。何様だ、と言われようが「いい加減にしろ」とすら思うようなことが幾らかありました。

ああ言うことに自分の考えや気持ちを集中すると、「こうなって欲しくない」とか「こうしたほうがいいんじゃないか」みたいな不安や思慮が崩れることがよくあり、結構内面にダメージがデカイ。そして烏滸がましいと思う自分にも嫌気が。

自分の人生が平坦な道のりで進んでいるわけじゃないことは理解してる(その節々で試練と呼べそうなものはいくつかあったし)が、少なくとも考えて妙手を出そうとしてきたので、ああ言う練磨して発達するような部分は、人よりは光が出せてると思ってます。とまあこれは自信満々に思うのも誤りで、自分自身のことをもっと余裕を持って見つめる方がよっぽど実りがあってマシだね。

うやむやが残りつつある秋。でもそれらを取っ払って行こう。

 

 

なんの輪郭もない話

youtu.be

チョー久しぶりに本家の「誰」を聞いているのだけれど、全く色褪せないな、ペトロールズ 高3ぐらいによく聴いてた

いつもはiTunesに入れてある「WHERE,WHO,WHAT IS PETROLZ??-EP」っていう、トリビュートアルバムに収録されてる呂布の「誰?」を聞くのだけれど(それについて書いてる記事)

ukyoele.hatenablog.com

そこではヒップホップのテイストで仕上げられている点、原曲は「本当にスリーピースバンドか?」って思うくらいにグルービーな演奏がなされているのよね。

例えばよく聞いてると3人がコーラスしているのも絶妙で、僕みたいな素人からすれば「計算されているのか?」となるけれど、これもまた彼らが気の向くままに音楽を好きにしているからできる自然さが表されているんだろうなと感じる。

コメント見てたら

f:id:ukyoele:20180912010505p:plain

 

ビックリだね

早くライブに行きたいな〜

 

御誂え向き

「自分のことなんだから自分でなんとかしなさいよ!」って何回言われて生きてきたのかよく分からないけれど、そういうニュアンスの言葉が身に染みてはいるので、大概のことは自分でできるようになった。飛躍的にできることが増えたなと思うのは19の時に始めた一人暮らしがきっかけで、20を迎えた夜だったり、21になって「何事もなく」浜松に帰った時、そこから22になるちょっと前に一人にならざるを得なかったりした時は、やっぱり誰の手も借りずに自分でなんとかしていた。

いや、多少は借りたけれど、概ね借りなかったのは、一番は自分が傲慢に見えてとても嫌だったからだと思う。

この話は「なんでもできちゃう自分すごい」みたいなことじゃなくて、そもそもその数々はちっぽけなもので誇れるものもない。できるようにした理由は自分のためで、掘り下げれば「自分を守るため」だと考えていたからだった。

でも最近思うのは、そうしたことは全て「自立」に含まれるのかってことだ。

というのも、ここ最近はそういう心構えが「やりすぎ」だったんじゃないかって、ふとぼーっとした時に思ったりする。
「ゼッテ〜幸せになる」とか、「充実してやる〜」みたいな、見てろよっていう反骨精神むき出しで生きてきたし、その上「テメェの助けはいらねえよ!」って気概でいたからこそ、非常に頑固になってしまったのだった。残念だ。

だからか、自立というか、自己を大きなものとして扱ってるだけなんじゃないかと心配、若しくは不安を抱くようになった。

頑固になっていく過程はあんまりいいものではない。「悲しみ、怒り、失望」なども溜まる一方で、結局それらは靄となって視界を遮ってくるばかりでしかない。そして目的を見失っているくせに、気づかずに「頑張らないと」っていう意識だけは抜けずに動いてしまうことが起こる。

めっちゃやだな〜って後になって気づくことが多いので、似た感情を抱いたらささっとその場から離れて、深呼吸して、コーヒーでも飲みながら空でも見ようと思う。そんで、十分に休んだら、やらなきゃいけないことをやっていこう。

こういうこと書いてないで笑

 

根を広げて強くする話

久しぶりに二連休が取れて給料も入ったことだし、フラッと街を出た。

最近は家で何かと思い詰める日々が続いていて、これは良くないことだと知りながらもそれを止めることができなかったので、この休みにリフレッシュを図ろうとしていた所だったので好チャンス。

と言うことで名古屋に行こうとしていたのだけれど、最近仲良くなった友達が急遽時間ができたと言うことで、予定を変更してもう少し近場でドライブすることになった。

相手はどんな人かと言うと、僕は普段の人付き合いで根本的な部分で似てる価値観の人を滅多に見かけないけれど、その人とは今の所「似てるな」と言う印象を強く抱くくらい、共通点が多かった。こう言う人を見つけるのって、ネットがある時代でもとても難しい。

中でもパーソナルな部分で、自己犠牲の度合いについては非常に話が合った。
自分よりも相手にポジティブになってもらって、助けたくなると言うものが「自己犠牲」ってやつ。これはきっと利他的な部分が強いから起こってしまうことなんだと思うけれど、何か自分の周りで大きなことが起こった時、自分の立場が危うくなっても正しいと信じた方向に進んでしまう自覚はあるよねって感じ。
これは自分の考えがある程度は正しいと信じた上で動いたり、相手の立場や状態を少しでもよくする為と宣っているからこそ、実は「自分の為ではないか」と言う批判も受けたりするものではある。裏をついて、利己的に動いている自覚はその時無いのだから、日頃の関わりの中でどれだけ誠実になれるかが重要で、それは僕自身のこれからに続く課題となっていくと、しみじみと感じた。
後、そのような利他的な状態に対して、もっと自分の中で「何を優先するべきか」をその都度考えることは大事になってくると感じる。優先順位を決めて行動することで、問題に対して平行することなく向き合うことができると言うのは、人の限界を超えない為の措置なので、一旦立ち止まって吟味しようと思う。

そんなことを話してるうちにショッピングモールについて、おいしい肉を食べながら、就活の話や教育実習の話、最近会った変な人の話などをして、帰路を辿った。
一度きりの人生だから、不必要に恥は作りたく無いよねってのは的をついていたけれど、今から軌道修正できるかって考えたら、きっと難しい。これからも残念ながら恥は自然に生まれていくだろう。


さて、家に帰ってこれを書いてる今に思うのは、今日のこと以外にも、今年の夏は多くのインスピレーションが与えられたなってことだ。

これはありがたいことなんだけれど、疲れてるからゆっくり解を見出せたらいいなと思う。
平成最後の夏は、まだまだ自分を磨いていくことになりそう。

 

お盆だね

70日ぶりに記事を書きます。

月末になると当ブログも2周年を迎えますが、現実の忙しさからか、なかなか更新する機会がありませんでした。でも反省せずほそぼそとやっていきます。

お盆ですね。

お盆になると、世間では実家に帰省して先祖の墓参りや、親戚と集まって食事をしたり、祭りへ出かけたりと風流を楽しむと思います。

僕はアルバイトざんまいで、そういうのとは無縁です。が、母親が15年ぶりくらい?に帰国しました。

2週間ほど前にメキシコの空港で機体が墜落する事故が発生したみたいですが、母親が乗る予定だった便と同じものだったみたいで、すごく不安がっていました。

日本からアメリカ、そしてメキシコ、最後にペルーという空路。

時差は14時間もあるので、結構な距離を飛行機で移動したことになりますね。
ラインが使えるみたいで、無事に着いたことや、首都リマ付近から見るペルーの自然(険しい山岳地帯が広がっていました)の写真や、ボリューミーなペルー料理の写真を見ては、「僕も留学したいな」とすごく思わされる。

もともとあっちに住んでいたので、どちらかというと留学ではなくて帰国になるのかな?とも思うけれど、スペイン語が流暢に話せれるようになりたいし、おばあちゃんとおじいちゃんの顔をもう一度近くで見て見たいので、早めに留学してみます。

幸いなことに、向こうの大学で教授をやってる親族が二人もいるので、うまく協力してくれたら、きっと向こうの大学で勉強することもできるかもしれないです。

歴史を主として、魅力の多いペルーですが、まだまだ発展途上国なので、もし留学するならば行政や法整備の面を勉強したいです。昔住んだ時と現在の街並みの写真を見比べても、とても進歩してますし、実際に行けたなら「どのように発展を遂げていくのか」をこの目で見てみていきたいです。

そんな感じで最近は海外に想いを馳せていますが、やっと母が成田に着くみたいなので、これからたくさん話を聞いてみようと思います。

絵を描こう

耳が詰まっているらしい

嗅覚と味覚がたまに反応しないときは大体それが原因で、現在進行形で風邪を引いているのだから、きっとそうに違いない

鼓膜が蓋をしていると変な気分になるよね

口に何かを含んだとき、その一瞬の舌に染み込むことでしか味がわからないあの感覚

好きじゃない

後味がわからなくなり、香りも分からなければ
「食事」は胃の寂しさを紛らわせるための行為でしかならない

ーーそういうことならば
料理の余韻に浸ることもできず、気温の変わりようの著しさに苛まれる日々ならば

 

「絵を描こう」

 

絵を描くんだ

僕は、そういう気持ちに満ち満ちているのさ

お花畑

 

f:id:ukyoele:20180531003242p:plain

FLOWERー2014年 9月製作


おひさしぶり

手土産に気に入ってる絵を一枚 
補足にも記しましたが、描いたのが4年前なことに驚きが隠せません

最近レポート以外に熱を出してるのは、一旦離れた趣味の「ドット絵」です

こういった絵がゲーム業界で用いられたのが凡そ15年以上前のことで、同じ世代の方々は
「ドット絵」に親しみや懐かしみを持つ方も多いんじゃあないかな

僕は昔これを描いていたんですが、一旦離れました
一日没頭するくらい描いていたのに、パタンとやめちゃったのは日常の忙しさが理由として大きかったですが、一番は趣味として楽しくないなと感じてしまい、離れてしまいました

絵は個人の内面を外側に表現するための一つの手段であるのに、他人と技量を比べることを描く目的としてしまったのが、冷めちゃった理由です

一旦離れてからは美術館での絵画鑑賞や、ネットで主に海外サイトでドット絵をみていて吸収ばかりしてたんですが、僕と違って本物のアーティストの作品は絵に複雑なメッセージを込めていて、そのために超絶技巧がなされていることが展示の解説等からも伺えます
他人と比べるところに熱を入れたように場所を間違えたなあと感じると同時に、自分にとっては、人生で初めて情熱を注げる、感じる行為が「絵を描く」と言うことだったのを思い出しました 

それぐらい自分には大きいことなんだなと認識しています

まさに、絵を描くと言うのもそれまで築いたアイデンティティを高める一つであるし、内側にあるものの昇華だと言うことですね

たまる一方ではダメです笑

「見る側」になってからは昔のように「描きたい」衝動に駆られることが多くなったので、また楽しんでやるつもりです

ちなみに現在、絡めてやりたいのは自分の絵の「アイテム化」を図ることです
(高校生の頃からしたかった)
フリマ等でのグッズ販売をすると言うような販売目的と言うより「純粋に自分の描いた絵に愛着があるから、身近なモノでそれを見たい」と言うように、形に表してみたい!って言うのが昔からの憧れなんですよね お恥ずかしい
Tシャツやマグカップへのプリントもそうですが、そう言ったアイテムに自分のデザインを添える(プリントする)ことが誰でも楽になったのは、世の中本当に便利になったな〜って感じます

年末か来春にはしたいけれど、作業環境はガラリと変わったのでペンタブ、買わないとなあ〜〜