Cataphora

これまでのこと、これからのこと

メンタルジャクソンへTHIS IS ITを告げる

個人的にはメンタルめっちゃ強いと思っていた時期もあるけれど(実際自他共に認める強さだった)鉄人ではないのでいつかはちょっとやられたりもしますよね。

こういうのって日頃の鍛錬によって差ができるんですけど、皆さんはメンタル鍛えてます? 

僕は最近怠けています。

怠けることは無理を感じた時に休むのと一緒で、決して悪いことではない。
しかし長続きすると麻痺してしまい、現状は自分がその数歩手前って自分で勝手に判断している。ヤバイね。

でまあどうにかしないとなあと頭の中で目まぐるしく対策を講じる訳だけれど、体を鍛える=メンタルが同じだと捉えていて、「行動力」の行使が勝負になってきています。イコールで捉えたのは「心身」という熟語が存在したり、体を動かしてリフレッシュすると、内心どこか晴れた気分にもなるよう、鍛えた方が損はなくても得はしっかりあって、人一人の体だから繋がってるよねって言えそうだったからです。

昔だったら生活習慣と体重の二点を、より健康的に改善しようとして2年前にランニングをしました。あの当時は周りがネタで「痩せたらイケメンだ」だの「これから先痩せるチャンスはない」だの言いたい放題の声に耳を傾け、実際暇だったしやってみるかとして見たら、まーこれが試行錯誤の連続で、ただ結果がちゃんと伴っていて大成功を収めました。

しかし最近はそれもやれていなく、どこか無意識に「怠けているな」と感じるようになる日々・・・ 
一度目的を達成してしまうと、慢心するのではなく「少し休んだら新しいものにチャレンジしていく」そのようなライフサイクルが望ましいのだなと感じさせられました。

自分の場合は何か動くことをストップすると、連鎖的に他の事へと繋がっていくようです。歯車を一つでも欠けてしまうとダメみたい。

例えば「部屋の掃除」、例えば「資格試験」、例えば「ランニング」、自己の内面でも外見でもいいです。

大きな(ざっとした)目標を掲げ、内側に小さな通過点を作りながら進んでいくことで目標達成に近づいていこうと思います。最初こそやることが多くて慄きそうですけどね。でもこれはいずれは減るんです。だから安心。

ただ、何かに打ち込んだり洗練することで鍛えられはするけれど、鍛え方をり返って壊れてしまうという話も目にしがち。そういう方少なからず周りにいます・・・

なので、よく自分を見つめ直すことを心がけ、その都度できる範囲で取り組んでみようと思います。

そうすれば怠けがちな冬も乗り越えれそうです。

鍛え直すことが必要だと感じた最近でした。 

上からback number

「上からback number」

それは暇な時に、数々の名曲をテーマにして、上から目線で返す遊び

ツイッターでしてみたのでまとめてみました

1「花束」

めっちゃ上からですね。お前は本当に何様だよ。このナルシストが。

2「大不正解」

こいつも完璧主義者なんでしょうかね。リアルにいたらほっとくべき人ですね。

3「高嶺の花子さん」

個人的にこれが一番気に入ってます。今すぐ鏡見てこいよって言ってやりたい痛い男ですね。

4「003」

狩野英孝の顔が頭に浮かびました。スタッフゥ〜 脳内イメージ消してー!!

5「クリスマスソング」

ポエマーかよ。こういう自問自答系はリアルでやられるとウザいですね。ぜひツイッターにでもつぶやいて完結してほしいつぶやきです。

どうでしたか。ちょっとでもクスっていただけたなら幸いです。

全体的に上から=ナルシストみたいな構図で遊んで見ました。

他の曲名でもぜひ試して見たいですね。暇なときに。

 

メッシュ

ドット絵熱が再燃する日々

12月にそれのフェスが千代田であるらしくて、行こうと思います。

ここしばらく趣味を失っていた(興味が失っていた)と言うような生活における楽しみのなさを送り続けるような危険な所から無事に脱せれたような気がします。

と言うのも人間関係が超絶疲れてきました。何様だ、と言われようが「いい加減にしろ」とすら思うようなことが幾らかありました。

ああ言うことに自分の考えや気持ちを集中すると、「こうなって欲しくない」とか「こうしたほうがいいんじゃないか」みたいな不安や思慮が崩れることがよくあり、結構内面にダメージがデカイ。そして烏滸がましいと思う自分にも嫌気が。

自分の人生が平坦な道のりで進んでいるわけじゃないことは理解してる(その節々で試練と呼べそうなものはいくつかあったし)が、少なくとも考えて妙手を出そうとしてきたので、ああ言う練磨して発達するような部分は、人よりは光が出せてると思ってます。とまあこれは自信満々に思うのも誤りで、自分自身のことをもっと余裕を持って見つめる方がよっぽど実りがあってマシだね。

うやむやが残りつつある秋。でもそれらを取っ払って行こう。

 

 

なんの輪郭もない話

youtu.be

チョー久しぶりに本家の「誰」を聞いているのだけれど、全く色褪せないな、ペトロールズ 高3ぐらいによく聴いてた

いつもはiTunesに入れてある「WHERE,WHO,WHAT IS PETROLZ??-EP」っていう、トリビュートアルバムに収録されてる呂布の「誰?」を聞くのだけれど(それについて書いてる記事)

ukyoele.hatenablog.com

そこではヒップホップのテイストで仕上げられている点、原曲は「本当にスリーピースバンドか?」って思うくらいにグルービーな演奏がなされているのよね。

例えばよく聞いてると3人がコーラスしているのも絶妙で、僕みたいな素人からすれば「計算されているのか?」となるけれど、これもまた彼らが気の向くままに音楽を好きにしているからできる自然さが表されているんだろうなと感じる。

コメント見てたら

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ビックリだね

早くライブに行きたいな〜

 

御誂え向き

「自分のことなんだから自分でなんとかしなさいよ!」って何回言われて生きてきたのかよく分からないけれど、そういうニュアンスの言葉が身に染みてはいるので、大概のことは自分でできるようになった。飛躍的にできることが増えたなと思うのは19の時に始めた一人暮らしがきっかけで、20を迎えた夜だったり、21になって「何事もなく」浜松に帰った時、そこから22になるちょっと前に一人にならざるを得なかったりした時は、やっぱり誰の手も借りずに自分でなんとかしていた。

いや、多少は借りたけれど、概ね借りなかったのは、一番は自分が傲慢に見えてとても嫌だったからだと思う。

この話は「なんでもできちゃう自分すごい」みたいなことじゃなくて、そもそもその数々はちっぽけなもので誇れるものもない。できるようにした理由は自分のためで、掘り下げれば「自分を守るため」だと考えていたからだった。

でも最近思うのは、そうしたことは全て「自立」に含まれるのかってことだ。

というのも、ここ最近はそういう心構えが「やりすぎ」だったんじゃないかって、ふとぼーっとした時に思ったりする。
「ゼッテ〜幸せになる」とか、「充実してやる〜」みたいな、見てろよっていう反骨精神むき出しで生きてきたし、その上「テメェの助けはいらねえよ!」って気概でいたからこそ、非常に頑固になってしまったのだった。残念だ。

だからか、自立というか、自己を大きなものとして扱ってるだけなんじゃないかと心配、若しくは不安を抱くようになった。

頑固になっていく過程はあんまりいいものではない。「悲しみ、怒り、失望」なども溜まる一方で、結局それらは靄となって視界を遮ってくるばかりでしかない。そして目的を見失っているくせに、気づかずに「頑張らないと」っていう意識だけは抜けずに動いてしまうことが起こる。

めっちゃやだな〜って後になって気づくことが多いので、似た感情を抱いたらささっとその場から離れて、深呼吸して、コーヒーでも飲みながら空でも見ようと思う。そんで、十分に休んだら、やらなきゃいけないことをやっていこう。

こういうこと書いてないで笑

 

根を広げて強くする話

久しぶりに二連休が取れて給料も入ったことだし、フラッと街を出た。

最近は家で何かと思い詰める日々が続いていて、これは良くないことだと知りながらもそれを止めることができなかったので、この休みにリフレッシュを図ろうとしていた所だったので好チャンス。

と言うことで名古屋に行こうとしていたのだけれど、最近仲良くなった友達が急遽時間ができたと言うことで、予定を変更してもう少し近場でドライブすることになった。

相手はどんな人かと言うと、僕は普段の人付き合いで根本的な部分で似てる価値観の人を滅多に見かけないけれど、その人とは今の所「似てるな」と言う印象を強く抱くくらい、共通点が多かった。こう言う人を見つけるのって、ネットがある時代でもとても難しい。

中でもパーソナルな部分で、自己犠牲の度合いについては非常に話が合った。
自分よりも相手にポジティブになってもらって、助けたくなると言うものが「自己犠牲」ってやつ。これはきっと利他的な部分が強いから起こってしまうことなんだと思うけれど、何か自分の周りで大きなことが起こった時、自分の立場が危うくなっても正しいと信じた方向に進んでしまう自覚はあるよねって感じ。
これは自分の考えがある程度は正しいと信じた上で動いたり、相手の立場や状態を少しでもよくする為と宣っているからこそ、実は「自分の為ではないか」と言う批判も受けたりするものではある。裏をついて、利己的に動いている自覚はその時無いのだから、日頃の関わりの中でどれだけ誠実になれるかが重要で、それは僕自身のこれからに続く課題となっていくと、しみじみと感じた。
後、そのような利他的な状態に対して、もっと自分の中で「何を優先するべきか」をその都度考えることは大事になってくると感じる。優先順位を決めて行動することで、問題に対して平行することなく向き合うことができると言うのは、人の限界を超えない為の措置なので、一旦立ち止まって吟味しようと思う。

そんなことを話してるうちにショッピングモールについて、おいしい肉を食べながら、就活の話や教育実習の話、最近会った変な人の話などをして、帰路を辿った。
一度きりの人生だから、不必要に恥は作りたく無いよねってのは的をついていたけれど、今から軌道修正できるかって考えたら、きっと難しい。これからも残念ながら恥は自然に生まれていくだろう。


さて、家に帰ってこれを書いてる今に思うのは、今日のこと以外にも、今年の夏は多くのインスピレーションが与えられたなってことだ。

これはありがたいことなんだけれど、疲れてるからゆっくり解を見出せたらいいなと思う。
平成最後の夏は、まだまだ自分を磨いていくことになりそう。

 

お盆だね

70日ぶりに記事を書きます。

月末になると当ブログも2周年を迎えますが、現実の忙しさからか、なかなか更新する機会がありませんでした。でも反省せずほそぼそとやっていきます。

お盆ですね。

お盆になると、世間では実家に帰省して先祖の墓参りや、親戚と集まって食事をしたり、祭りへ出かけたりと風流を楽しむと思います。

僕はアルバイトざんまいで、そういうのとは無縁です。が、母親が15年ぶりくらい?に帰国しました。

2週間ほど前にメキシコの空港で機体が墜落する事故が発生したみたいですが、母親が乗る予定だった便と同じものだったみたいで、すごく不安がっていました。

日本からアメリカ、そしてメキシコ、最後にペルーという空路。

時差は14時間もあるので、結構な距離を飛行機で移動したことになりますね。
ラインが使えるみたいで、無事に着いたことや、首都リマ付近から見るペルーの自然(険しい山岳地帯が広がっていました)の写真や、ボリューミーなペルー料理の写真を見ては、「僕も留学したいな」とすごく思わされる。

もともとあっちに住んでいたので、どちらかというと留学ではなくて帰国になるのかな?とも思うけれど、スペイン語が流暢に話せれるようになりたいし、おばあちゃんとおじいちゃんの顔をもう一度近くで見て見たいので、早めに留学してみます。

幸いなことに、向こうの大学で教授をやってる親族が二人もいるので、うまく協力してくれたら、きっと向こうの大学で勉強することもできるかもしれないです。

歴史を主として、魅力の多いペルーですが、まだまだ発展途上国なので、もし留学するならば行政や法整備の面を勉強したいです。昔住んだ時と現在の街並みの写真を見比べても、とても進歩してますし、実際に行けたなら「どのように発展を遂げていくのか」をこの目で見てみていきたいです。

そんな感じで最近は海外に想いを馳せていますが、やっと母が成田に着くみたいなので、これからたくさん話を聞いてみようと思います。