Cataphora

これまでのこと、これからのこと

慢性甲状腺炎 前編

今日は久しぶりに休みだったので、平日にできることをしていた。

プライオリティーが高いものの中に、8月ぶりに病院に行き採血の結果を知るというものがあった為、4ヶ月以上放置したことに対してのお叱りを覚悟した上で電話をかけた。

電話口で、9月に財布をなくしたこと、そこに診察券もあり、紛失したこと、8月ぶりであることを伝えると、怒られると思いきやそんなことはなく思いの外あっさり予約ができた。

そして病院へ。

まずは管理栄養士の方と対面。

8月の頃に指摘された指導内容はいまでも実践していること、記録したノートやノート以降は「asken」と呼ばれるアプリに記録し、数カ月にわたって習慣的にやってきた事を、情報を提示しながら説明。

体重計に乗って、8月よりも体重が5kg減っている事でサボっていないことを証明し、

一定の評価はいただくことができた。

改善方法については現状維持ではあるが、強いていうならば、タンパク質はもう少し採った方が良い、食事の時間を21時までにしてみなさい、という内容だった。

これについては素直に従い、痩せにくく脂肪のつきやすい冬も乗り切って行くことを誓って、次の先生との対面まで待つことに。

待つこと3分、お待ちかねの院長の先生とのご対面。

自分が外国人の血を引いていることであったり(遺伝で関係する)生活習慣や体重の遷移などを全てデータベースとして残していただいていたので、それを元に変化が起きた点や、血液検査の結果について伺うことができた。

自分の数値と基準値を比べてみると、自分は血糖値が結構低いことに衝撃を覚えたが、

中性脂肪がギリギリってことで、ただ5kg減る前の採血ということもあり、これが次回の診察時にはどのように反映されているのか非常に興味深い部分であった。

そして目に引く箇所が一点。

甲状腺に関する数値は異常で、通常の値よりも10倍は高かったように思える。

そして「慢性甲状腺炎」と告げられたのである。

-----いや正直自覚はあった。

明らかに10代の時の成長が遅かったし、おまけにすごい寒かったり太りやすかったりとおかしかったので、これで改めて理解できて安心したのが、本音だった。

今の所健康に何の問題もないし、将来的にその不安もないだろうとのことで、引き続き自分が目指す体型については現状のペースで行いましょうとのことだった。

自己免疫疾患が一つあるってことで何かの判断基準として一つ備えることができたわけだけれど、僕はまだこの疾患については「そういうものがある」ということしかあまりわかっていないので、詳しいことは勉強を重ねて、また後日過去の経験を交えて紹介しようかな〜と思います。

ちなみに帰りはインドカレーを食べたんですけれど、同じ名称でも店によって味が全部違うのがこの料理の面白い所。地元のお店がひいき目なしにナンバー1だと思っているので、早くインドカレー界で美味しい店を都内でも見つけたいです。

続きが気になる方は、なにとぞ次回の更新をお待ちいただければ幸いです。

プロトタイプ

ドット絵に変わる何かを「作る」遊びをここ2,3年探していたのだが、兼ねての夢だったゲーム作り(昔にも叶えてしまったのだが)に最近は没頭している。

プレイするのも楽しいが、自分が作った「遊び」で誰かが楽しんでいるのを見る方が性に合っているようで、今は少し前に流行ったMurder Mysteryの脚本を一から作り上げている。

これがとても楽しいのだ。

Murder Mysteryは人狼ゲームやTRPGのように卓上でゲームの参加者と話し合いを重ねあいながら、その進む先を一点に絞って答えを導き出すゲームであり、読んで字の如く「殺人犯」を会議の中で探し当てる推理要素を含んだ会話型のゲームである。

推理小説は小学生の頃から多く読んでおり、特に自分はアガサクリスティや東野圭吾、ドラマではSPECに大きな影響を受けた。

あの世界観を自分で作ってみたいという野望は密かに抱いていたのだが、科学の専門知識も疎ければ、引き込むような文才も無く、自分には人を魅せる作品は作れないだろうと一時期捉えていたのである。

しかし、年齢を重ねるごとに知見も積み重なり、人に、世に出してもいいだろうと思えてきたのだから、完全に諦めなくてよかったと思う。

成功は数多の失敗の上に成り立つはずなので、いまこれが出来上がって「ダメ」だったとしても、次には良いものを作れるようになるかもしれない。

まずは悔いのないモノづくりにチャレンジしたい、と思う夏休みであった。

 

 

点について思うこと

点といえば達磨を思い浮かべる。

達磨は縁起物として有名、のはず。
まず祈願し左目を書いた後、その願いが叶えば右目をも描き完成とする風習が江戸時代からあるらしい。

元はインド人の仏教僧「ボーディダルマ」が由来とされており、9年間もの間坐禅を続けたといわれているが、これは「壁のように動ぜず真理を観する禅」として後に坐禅の定義としても確立されるに至るらしい。この修行していた寺がかの有名な「少林寺」だというのだから、それも面白い。

そして次に「画竜点睛」と言う四字熟語を思い浮かべる。

物事の最後に加える大切な仕上げを指す言葉であり、これを成して全体を一層引き立てることができる。

何か似ている気がする。

少し話を遡ると、少林寺には門派の一つとして「少林寺拳法」と言うものがある。
この新興武道は敗戦の真っ只中にいた日本人の気骨を養う、「自立」を起こすべく「肉体と精神が一つである」と言う霊肉一如の教えを中国から持ち帰り(諸説あり)表現しているものらしいが、人一人の人生においてそうした価値観に気づきが得られるのならば、確かに濃いなとも思うし、人一人も規模を抑えれば点であり、密度の濃いものとして自分たちは点在していると言える。 

また、点といえば囲碁部だった私は「囲碁」も当然ながら思い浮かべる。
白黒の碁石は碁盤状に敷かれた線の交差した箇所=「点」に石を置くのだが、高校生だった私は「なぜ交差点に置くのか?」と言う一見してもしなくても、とにかくくだらないことをよく考えていた。
部員にも顧問にも笑われたこのテーマだが、これには自分なりの回答は当時既に出来上がっていた。

ヒントになったのは部室にあった「ヒカルの碁」のとあるシーンで主人公ヒカルが「ここ宇宙なんだ」と言うものだった。
言うなれば碁石を「星」に置き換え、それが連なれば星座のような世界観を描くことができ、それができると言うことはその空間は宇宙だよね。といったオチである。

何が言いたいかと言うと囲碁は「石」で囲んだ範囲を陣地として計上し、その大小で勝敗を決するゲームだが、やはりそうならば線は脇役にすぎず、点こそ「星」が存在しうる可能性を秘めており、四角い枠の中に碁石を置いたならば、実際にやればわかるが一番外側の点にはおけないため、やはり規模の小さい事をしていることになる。
それはゲームとしては面白みに欠けてしまうのだ。

囲碁における自主性やデザイン性は線ではなく点ありきなのが面白いなと思ったので十分に変人だと自覚するが、これも趣味でやっていたドット絵には少しばかり役に立ったのである。

趣味は時に劇薬であるし、気づきであり、成長や挑戦、お金をもらうと言う成果を出せる場でもあった。
囲碁をやっていなければドット絵にハマることはなかったと言い切れるし、ドット絵をやっていなかったら囲碁の創造性に気づかないまま、頭を使わずヌルい手を打つだけの退屈な3年間を過ごしていたのでは無いかとすら思うので、相関性が自分の中では高かった。

絵には塗り方や表現が「個性」として尊重されるが、この「色」と言うのも元を辿れば「点の集合」である。ドット絵は「最大限に最小化」した芸術の表現方法の一つだと考えるが、尚更この「色」と言う要素は重要になってくる。

いわばミクロの世界で「どのように見せることが、『魅せる』ことに繋がるのか」と言うことを追求するのがドット絵における芸術性の評価点であると思うので、これを意識して時々結果を出せたらいいなと思う。私はそこから絶対的に「色」にこだわるようになった。もう描けなくなったが、意識的に思い出せる箇所ではある。
だが、最近は「実はやれるんじゃ無いか?」とすら思っているので、一見騙しつつやってみようと思う。

もし上手くいけば、秋には堂々と右目に濃い点を打てるはずだから。 

ルージュラについて考える。

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ポケットモンスター ソード・シールド」に於いてDLコンテンツ「エキスパンションパス」がついに第一弾と第二弾の両方をプレイできる様になりましたね。

半年前、思いつきで人知れずエスパー使いを極め始めた自分にとってこれは朗報でした。選択の幅が広がることは戦術の奥深さをも増すことができる為、ゲーム自体からここ数カ月離れていましたがこれを機に再びSwitchを触る様になりましたね。

…さて、第二弾「冠の雪原」にて自分が重要視していたのは解禁されたポケモンの内、「エスパータイプを含むポケモンは何体いるのか」ということ。

かけだしサイキッカーの懐に入った情報では、ランクマッチで使用できるであろうポケモンは凡そ12体(進化前含む)でした。

ORAS時代に愛用していた色違いのチャーレムをガラルの地に連れて行くことは叶わなかったですが、満を持して600族の一角であるメタグロスが復活したのは嬉しいですね。

また、発売前から話題になった「バドレックス」や「ヤドキング(ガラルリージョンフォルム)」、そして「フリーザー(ガラルのすがた)」といったポケモンエスパータイプに属されることとなり、彼らの存在がミステリアスなポケットモンスターの世界に新たなエスプリを効かせてくれたのではないでしょうか。

さて、いよいよ本題です。今日はそんな追加コンテンツ「冠の雪原」から新たに参戦となったエスパータイプポケモンの中で唯一、初代に属している「ルージュラ」について考察を入れてみたいと思います。

…ところで、初めての試みなのでお見苦しい場面もあるかとは思いますが、凍てつく視線は向けないでくださいね。

フリーザー(ガラルのすがた)に関しては原種とは異なる別種であるという旨の図鑑説明の趣旨もありつつ、やっぱり同種なんじゃないかという見解もある為、考察が進んでいない段階での判断は軽率と考え留保させていただきます。

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走馬灯

人生において「充実した一週間を過ごす」というのはとてつもない確率の上に成り立った、偶然の一致によって起きる経験だと思う。

今週を振り返ると、僕は毎日が充実したと感じていたのだった。
毎日、もうしばらくは会えないであろう人たちとご飯を食べにいったり、花火をしたりしながら夜遅くまで語り明かした日々だった。

大きなことを成し遂げたと言う達成感ではないけれど、些細なことの積み重ねによる幸せで、自分は十分だったし、充実していたように思う。

明日への楽しみや期待、渇望などが不安や心配といったネガティブな要素を取り払ってくれていたこと、自分のイメージと現実とのギャップが、実は予想よりもずっとポジティブな方向に修正されていったことは、「塵も積もれば山となる」と言うのは何か形にならない、もしくは目には映らないものにも言える事なのだなと再確認した。
これを読んでいるみんな、周りの人は絶対に大切にしよう。
それは鏡となっていずれ反射る(かえる)のだ。お兄さんとの約束だぞ!

振り返れるのは楽しかったことだけではなく、ここ数年続けたアルバイトもそうだ。
朝のアルバイトを辞め、これを書いてる明日には時間帯責任者をはじめ、なかなか経験させて貰えないことも多く経験した場所を辞めることになる。
前者は自分の苦手としている部分をあえて克服するのに役に立ったし、後者は特に正直に言うと最初はかなり出来の悪い従業員だったと思うが、忍耐強く見てくれ、自分自身の成長に優しく寄り添ってくれたように思う。業務内容の理解というよりも、人としての成長や今後の生き方についての参考になる点を多く、無意識のうちに学べたのは時給以上のメリットがあったはずだ。感謝は尽きない。

またそれだけではなく、地元に愛着はなかった自分が、この数年でその考えを撤廃することができたのも、振り返ると大きな変化だった。
自分は二十歳頃までそういう状態であった為、内心自分のことを「薄情だな」と思っていたけれど、地元に帰った時に家以外に「気軽に寄れる場所」がちゃんとできたように感じられる。

来週には数年ぶりの一人暮らしが始まるけど、昔に抱いた反省点を挽回するチャンスが来たし、ちゃんと帰れる場所があると感じれるので、もし仮にやっていけなさそうなことが起きても、昔とは違って余裕のある日々を送れるはずだと期待している。
もちろん優先するべきは学業と将来への布石。

楽しんでやろうと思う。

(1,000字)

木兎を飼い始めたよ

TwitterInstagramをフォローしている皆さんならご存知だと思いますが、実家で今月から梟を飼い始めました。いや、厳密には木兎です。

親父が今年の3月頃に庭の空き地に小屋を一人で建てて、「なんのためにこんなことを」と思っていたんですが、全てはこの為だったようです。

ある日仕事先の親父からLINEで「小屋のエアコンをつけてくれ」と言われ、それまで小屋に入ったこともないし、そもそもエアコンがあるのか〜と思って入ったら、床に羽が落ちていることに気が付き、そこで初めて「まさか、...いるのか?」ってなっちゃいましたね。いました、真後ろに。

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流石に変な声出ました。真後ろにまさか木兎がいるなんて夢にも思わないよね。

心臓バクバクだったけれど、あっちは微動だにせず凝視。肝が座っていますね。

余談ですが梟(フクロウ)と木兎(ミミズク)の違いは羽角の有無だそうです。

羽角がピンと立っているときは結構警戒しているらしい。

今年の1月頃に生まれたらしく、猛禽類のペットショップで格安で売られていたので、わざわざ名古屋まで行ってうちに連れてきたみたい。

梟や木兎は通常だと20〜30万円はするらしいですが、この個体は3万だったらしいので、奇跡だなあと思います。

というのは、よく見ると足の爪が一本ないんですよね。ショップの環境が悪いと不慮の事故で爪が取れちゃって一生生えてこない、なんてこともあるらしく、ちょっと痛々しいですが、健気に棒に止まっているのでさほど大きな心配は要らない様子。

まだ出会って数日ですが、だんだん慣れてきたのか、微動だにしなかったのがあくびをしたり動くようになり、羽角も上がらなくなってきたので仲良くなれそうです。

犬や猫とは全く違うプロセスで関係を作る動物なので、その点もとても楽しみ。

 

ちなみにオスかメスかはわかりませんが、親父曰く名前は「コイバナ」だそう。

青春か。

 

 

 

 

Chillたlisten

ガラルリージョンフォルムに新しいポケモンが出るとしたら、現在は初代のポケモンがその対象だけれど「雷雲」を纏ったチルタリスなんかが出ても面白そうだと思うのよね。どうですか、攻撃を受けたらその反動で雲から電気が生じ、エレキフィールドになる感じの特性。絶対強いと思う。

ヤツはフェアリータイプの登場によってドラゴン・フェアリーとなりましたが、電気・ドラゴンでも電気・飛行でもいいと思います。いつか出て欲しいです。

今日はチルタリスの話ではなくてChilな曲の話。
夏になると暑さを忘れて涼みたくなるけれど、それは耳も同じだよね。

ガヤガヤした歌を聴くよりは軽快だけれどリラックスしながら黄昏る曲なんかを聴きたくなります。シティポップというか、R&Bというか。

どこかその手の音楽が評価を高めてきているので商業的な質を感じやすいけれど、気怠げなあの雰囲気が「落ち着いていいぞ」と声をかけているみたいで気がついたらそればっかり聞いちゃいますね。

思えば大好きなPetrolzもそんな感じの曲調が多いからハマったのかも。

ぜ〜ったいにライブ行ってやる。