Cataphora

これまでのこと、これからのこと

Is it a pity.

We had windy weather but a evening-shower fell, didn't it?

A shower fell suddenly, but today was tense continuation that it has occurred to me.
(Cause which is shower,my bicycle's saddle got wet.)

As an Example, the much happens because of communication with there.
Because, recentry, I decide to theme which is behave to something for growth myself.And then,today's theme is“conscious of the relation.”

Though it should be an easy, but it was difficult. 
(It's also the one that this is being written)
In particular I'm in bad condition.I had a cold with
pain of intense in the throat.so baaaaaadddd

“Oh~ I aint say nothing because my voice dosen't go out!!!”
moreover I strained my voice.
“Hey Siri!could you conversation who speaks to me right?”
She said “there is no one substitute for you”
NOT.Such is not the case( ;∀;)

I obsessed for a progress.

 

...after all English gets tired.
but the time which writes sentences in English can expressed my feeling specifically.
Well...it maybe so.

have a nice dayッ

犬を拾った話

22時半ぐらい、午後に文房具買うの忘れてたのでコンビニ行こうとしたんだけれど、玄関の前に犬がいました。そう、玄関の前に。
ちなみに犬がここまでたどり着くのは容易ではない。

なぜなら玄関から公道までの距離があることと、段差の幅が大きいコンクリートの階段になっているからです。建物自体が盛り上がった所にあるのですが、よく登れたなと。(階段の横は土になってますが)

目が合った瞬間はすぐに家のドアを閉めちゃいました。どこの犬かも知らないし、野良だったら噛まれた時が怖いし、ということで。

2分ぐらい経って、意を決してドアを開けたらまだそこにいました。
無視はできないのでとりあえずできることからしてみようかと。

近づいても吠えないし、落ち着いている様子。息は荒かった。
よく見たら赤い首輪がついてるので「飼い犬」であることにホっとしました。
ただ不安な点もあります。
犬を飼ったことがある人はわかるのですが、首輪には「鑑札」と呼ばれる、狂犬病予防の注射が済ましてある印をつけなければならず、
(これは各自治体によってデザインが異なり、つけなければいけないことは法律で定められている。ウチの犬も首輪をつける際は常時一緒につけるようにしている)
この犬にはそれが首輪にはついていなかったことです。
非常に嫌な予感がしました。
犬の匂い?からして室内で飼われているのではないのが想像つきますが、「出所の分からない」事実は「捨て犬の可能性」が出てくるのです。

この犬が捨て犬だった場合は、保健所である程度の期間が過ぎた後、辛いですが処分されることになってしまいます。最悪です。

さて、首輪に破れそうにない紐をつけて逃げないようにし、軽く歩かせ(怪我してないかを見た)近くの交番を探し、寄って電話をかけて話を聞いたのですが、どうすることもできずに保健所の電話番号だけ教えてもらいました。

ウチでも犬を飼ってるので、一応親に連絡してこの場合どうしたらいいかも聞いて見ましたが、やはり保健所への連絡はするべきだということです。
僕も犬がいなくなったら間違いなく最寄りの保健所に連絡するだろうし、定石ってことですね。

交番の帰りに、お腹が空いてたらかわいそうだったのでとりあえず餌を買い(自分のご飯買うの忘れた^q^)与えて見ましたが、すごいがっついて食べてました。

それにしても吠えないし人に慣れてるで・・・
ウチの暴れん坊将軍とは違って落ち着いているなと感心。

今はどうすることもできないので杭に紐を巻きつけてどこかに行かないようにし、下に布を引いてそこにいるようにしてますが、流石に飼うのは無理。
保護はできるだけするけれど。

・・・一通り落ち着いて、コレを書いてるんですが、飼い主が見つからなかったら・・・という嫌なことばかり考えます。
自分の中では、首輪に鑑札をつけていなかった顔も知らない飼い主に対し怒りを感じていますが、虚しいです。
飼っているペットが突然いなくなったりしたら、その時の飼い主の感情も悪いものなのは吝かではないですが、こちらもそうですね。
しばらく見つからない、なんてことが起きないように保健所への連絡、最寄りのスーパーに頼んで張り紙を貼らせてもらうなどできそうなので時間を何とか作ってやって見ようと思いますが、今の時点でさえ、命一つに対しての僕自身の心的負担が凄いのが本音なんですよね。
ただ玄関付近から追い出したり放置はできなかったですし、してたらずっと後悔してたでしょう。

命を思いやるとはとても大変なことで、これが「命の重み」でもあると客観的に捉えられる気がします。

法律では犬は物として捉えられてるんですけれど、やはり物ではなく生き物です。
できる限りで助けて見ようと思いますʕ•ᴥ•ʔ

 追記:次の日に保健所に連絡してみたところ、該当者がいるとのことで画像を送ったら「その子だ」となって無事に見つかりました٩( ᐛ )و嬉しい。

メモ:民法改正

4/27 寝起きです 朝5時とかでも、空は明るい!

最近復習感覚で民法の講義を受けたりしてますが、それに関して

先月のギリギリに閣議決定され、国会に提出された「民放の一部を改正する法律案」
民法は僕も苦手と感じている法律ですが、特に苦手だなーと感じる債権が120年ぶりに改正されるみたいです。
この部分は今までに判例を経ていろんなルールが作られた範囲であったので、改正を通しても法体系と現実の感覚のズレをさらに変化、修正するってことですかね。

サッとTwitterで目を通した時には「今年の国家資格試験等で出てくる問題はコレだろうな」程度にしか思わなかったですが、その内容について忘れると困るので自分用に大事なところだけまとめてみます。
このまとめはあくまでも自分用の「メモ」なので部分部分で今度追記されていきます。
悪しからず〜

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やさしみ

今日もいつも通り電車に乗っていて、席をおばあさんに譲ったら降りる間際に声をかけられ、飴をもらいました。

何も狙った行動ではないとはいえ、優しさや感謝が形となって返ってくるだなんておめでたいですね。

ところで皆さんは優しさをばらまけるほどの忍耐をつけていますか?
僕はつけています。

「優しさ」を持ち、外に向けて行動するというのは、自分に対して忍耐や寛容さなどの強い精神性が育まれていないとまず行えないでしょう。
そこに愛を感じれれば、君もアンパンマンになれます。

ただ、行動した内容がステレオタイプに「優しさ」として判断されることはありますよね。優しくない人が起こした珍しい行動が「優しさに写る」というのとはここでは意味が異なります。

まず、人から優しいと判断されるには条件があり、基本の行動を気配りし、表現できるかが鍵です。この二つができればまず「優しい」と言われるでしょう。
あくまで基本的なことを行うことにより優しいと判断されるのですが、では、基本的なことが行えない人は優しくないのでしょうか?そんなことはないはずです。
よく、周りから優しいと言われている人が、そのような基本的な行動を取らなかった人に対して優しくはないけれど自分に易しいなどと言葉をかけるのを見たりします。

しかし、相手は、もしかしたら不安や緊張を感じているかもしれず、余裕がないのかもしれません。
基本、忍耐などのストレスがない状態で優しさを形にするというのは、無意識な領域かもしれませんが、自分に余裕がないと行えません。

余裕が無く、緊張や不安を感じながら過ごしている時に他人に対して優しさを配ることができないのは、のび太くんを見ていれば分かることです。テストの点数が酷くて母や青いタヌキから罵詈雑言を浴びせられる、空き地でスネ夫率いる不愉快な仲間たちにハブられた後の、彼の精神状況がまさに「余裕がない」を表しています。
やがてのび太くんは己の無力さに鑑みて、ヒステリック、排他的にになっていきます。
意固地に我が我がと思考がロックされてます。

また、出木杉くんのような目の敵に近い存在が置かれていると、それもストレスかもしれませんね。現実に置き換えるならば、優しさをばらまくナイスガイの存在がソレです。

つまり、優しくなるには自分に優しく・易しくなるところから始めてみてはいかがでしょう?
誰にでも経験はあると思いますが、受けた分を還元したい気持ちというのは心理的に芽生えるはずです。
ワガママに落ちるところまで落ちるなんてことはないと思います。

と長々と書いちゃいましたが、自分の観念を他人に押し付ける僕は、決して優しいとは言えないでしょうね。

youtu.be

Do you remember〜♪

youtu.be

タイトルのフレーズから始まる有名な曲っていったらEarth,Wind&Fireの「September」が挙げられると思いますが、このグループのライブに行かねえかと誘われました。

昨年末からよく「ライブ行かねえか」と誘われるのですが、Earth,Wind&Fireはかなりの大物ですよね笑

テンション上がっています。

僕でも知ってるディスコミュージックの多くを生で聴けるのはとても魅力的で、もしいけたなら、ライブスタッフのアルバイトをしていた時に、X JAPANのスタッフをしたことがあるのですが、あの時のように鳥肌を感じながら楽しめそうです。

ボーカルの方は確かお亡くなりになられたので、生歌が聴けるというのはないのかもしれないですが、誰でも知ってるヒットソングのオンパレードが楽しめると思うと、ホント行ってみたいと思います・・・!

ライブ情報は以下のURLをご覧ください!

EARTH WIND & FIRE | UPCOMING ARTIST | CREATIVEMAN PRODUCTIONS

high&"law"

これを書き始めた時刻は午前3時12分 
奇しくも誕生日と同じ数字の木曜日です。

ぐっすりねれずに起きてしまいました(_ _).。o○
頭がグワングワンします。
今日は夜まで家に帰れないので割とヤバみ 

最近、というよりこれから小論文だのレポートだのを書き始める訳ですが、レポートや卒論を書いた経験もあるので行けるだろうとタカを括っています。いえ、いました。

実際にいくつか書いて見たんですが、ブランク(?)があるからなのか、どうしてもらしい文が書けません。ヤッベ〜〜
それと前は評価されたが今回は・・・という懸念も兼ねて手が出ない。
ビビってんじゃねーぞ

設定された文字数に到達しないと言った不安はゼロなものの、まだまだ、自分の価値観を示し、理由も示すことで「考えれる人ですよ」といったのをアピールする力が足りないなーと感じてます。就職、編入や公務員対策(全てやった)でたくさん書いたので自信がついたと思ったんですがねぇ・・・ヤワでした。

たくさん書きすぎて、ちょくちょく類語や同義語を文中に用いることをしてしまう(基本一つの言葉に統一する)こともあるので基礎がもしかしたら抜けているかもしれません。

なんというか、冗談でなく真面目な話、自分は日本語が苦手だと感じます。
ボキャブラリーに富んでいないので表現が下手なのが悔しいです。
よく矛盾を突っ込まれるのもこれが要因だと感じます。

が、謙虚に書き続けていけば慣れるものの慣れ、読み手に伝わりやすく文章作成を得意に感じることができるだろうと期待しています。
あとはレポートなので、自分よりもはるかに賢い大人に読んでもらうことになりますよね。そうなると、謙虚、大事。


一応下準備として並列と進展についてを記す表を作り、読書後にそこに記入し、よくある書き方に沿ってやってみようなどとゆるくテキトーに考えています。

最後に。本を買いました

 

 

社会保障亡国論 (講談社現代新書)

社会保障亡国論 (講談社現代新書)

 

 

 

犯罪と刑罰 (岩波文庫)

犯罪と刑罰 (岩波文庫)

 

 

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

 

 

 

権利のための闘争 (岩波文庫)

権利のための闘争 (岩波文庫)

 

 

 

発売日見れば分かりますが古いです。
中古で1円とか40円とか安くお買い得でした。イエーイ。

岩波新書の本は昔レポートの参考文献でお世話になってました。
自称、人の評価は重く受け止めない(参考にしないとは言ってない)タチですがレビューを見て面白そうだなと思ったのをピックアップ。絶対図書館にないだろうなーと。
あるとしても大きいところにしかないだろう。
借りる人がいたらどんな人なのか気になります。

去年行書の勉強してたので必要なかったかもしれないですが、復習も込めて基本的で分かりやすそうな本から体系的に涵養するのが大事かなと、急に真面目になって今思うので、まずは読み、理解を深め、これについて書評でもしてみようかな?と考えています。ここには載せないと思いますが。

そんなところ。はい、寝たい!

顔あげろ(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

私は相手の目を見て話を聞いたり、話しかける際に「ガン見」してしまう癖がついている。今日もそのことを人に指摘されたが「目を見る」ことについて思うことがあるので書いていく。

コミュニケーションを取るときは、相手の目や表情を見て理解を示したり、心境や状況を把握するのは大事とされている。当たり前ではあるが、なかなかできない人は多いのも事実である。

「見ない」という選択は消極的な姿勢を相手に映しかねない行為だ。
見つめ合うと素直におしゃべりできないのは、サザンのtsunamiのような、恋愛面だけ充分である。

できなければ「コミュ障だ」などと判断されてしまいがちであり、社会とはとてもシビアなんだなぁと思わされてしまう。しかし、私も「コミュ障」の定義を挙げるなら「目を見れるか」はチェックポイントとして挙げるだろう。本当にシビアだ。

相手の目が見れないだけで、コミュ障だ、だの根暗だ、だのボロクソに言われるのはかわいそうだ。

つまりは、結局、他人に自己の感情や考えを表現することに抵抗を感じてしまっては、互いの理解に相違が生まれ、トラブルの元やぎこちない関係に終始してしまう。

これでは人付き合いが苦痛になり、時間も無駄に感じ勿体無い。

ではどうすれば良いのか?暇なので軽く考えてみようと思う。
まず、目を見ると緊張してしまう、固まってしまう人は「なぜ目を見なければいけないのか?」という点について考えて見ると良いだろう。
その点にフォーカスする機会はなかなか無く、意識しづらい部分ではある、
が、克服するために問題を知る上で大事なプロセスだ。

私が今の段階で答えを考えて見ると、「目は口ほどに物を言う」という言葉がヒントになると感じる。
この諺は、相手を知る手段として目を(顔色を)伺うと、説明いらずに真意や感情を理解することができる意味を持つが、まさにその通りと言えないだろうか。

人は会話(チャットでも)やアイコンタクトを通して相手をリアルタイムに理解していき、「百聞は一見に如かず」といった、一見逆説的な言葉(※1)がありながらも、視覚を通して得る情報の量と正確さが、情報を得る上で大事であることを裏付けている。

相手への共感や無視をしていないことを示すためでなく、相手を理解する姿勢を示すために、目を合わせるのは重要であるのだ。

ところで、冒頭に触れたように、ガン見してしまうほど目を見る癖が私についてしまった。真面目に考えて見たら、「A and B」ではなく、「A or B」しかできない性格だと思うので、相手が苦手で、目を見れないと感じたらとことん見ないし、見れる相手ならやはりガン見してしまう。「ガン見」と言われるのが、もしかしたら真顔で見ていたからなのかもしれないが、まだバランスがわからないのである。
これはこれでダメで、相手に変な印象を与えかねない。
他人との違いを測ることが難しい内容ではあるが、人や物事への興味関心が、他人より高いと感じる。ガン見してしまうくらい長い間目を合わせるのだから、いい裏付けかもしれない。気をつけたい 、温かい目と笑み。

昔に遡ると、中高時代の私は何かしらの委員長や部長など、代表として人の前に立って動く仕事を経験してきたが、それに到るまでの学校生活で嫌な思いを経験したこともあって、コミュニケーションをとることを非常に恐れていた節があり、苦痛だった。
その時の私は、まるでメデューサに射止められた石像のようだった。らしい(他人談)
相手の目を見た瞬間に固まり、頭の中で考えていた文章を光の早さで外に飛ばし、大勢の前でポカンと立ち尽くして恥ずかしい思いをした経験は一度や二度では無い。
そのような私でも、ガン見するくらいには(間違ってもガン見は良く無い、ダメ、絶対)相手の目を見てコミュニケーションをとることができるようになったのは、地味に成長したのでは無いだろうか。

是非とも顔を上げて、楽しくやっていこうと思う春先だった。

 

(※1):相手から「百聞」もしてれば内容の正確さと同じくらいに、文体から相手の様子や日頃の雰囲気、性格まで大体の検討はつくことはできそうではある。