Cataphora

これまでのこと、これからのこと

根を広げて強くする話

久しぶりに二連休が取れて給料も入ったことだし、フラッと街を出た。

最近は家で何かと思い詰める日々が続いていて、これは良くないことだと知りながらもそれを止めることができなかったので、この休みにリフレッシュを図ろうとしていた所だったので好チャンス。

と言うことで名古屋に行こうとしていたのだけれど、最近仲良くなった友達が急遽時間ができたと言うことで、予定を変更してもう少し近場でドライブすることになった。

相手はどんな人かと言うと、僕は普段の人付き合いで根本的な部分で似てる価値観の人を滅多に見かけないけれど、その人とは今の所「似てるな」と言う印象を強く抱くくらい、共通点が多かった。こう言う人を見つけるのって、ネットがある時代でもとても難しい。

中でもパーソナルな部分で、自己犠牲の度合いについては非常に話が合った。
自分よりも相手にポジティブになってもらって、助けたくなると言うものが「自己犠牲」ってやつ。これはきっと利他的な部分が強いから起こってしまうことなんだと思うけれど、何か自分の周りで大きなことが起こった時、自分の立場が危うくなっても正しいと信じた方向に進んでしまう自覚はあるよねって感じ。
これは自分の考えがある程度は正しいと信じた上で動いたり、相手の立場や状態を少しでもよくする為と宣っているからこそ、実は「自分の為ではないか」と言う批判も受けたりするものではある。裏をついて、利己的に動いている自覚はその時無いのだから、日頃の関わりの中でどれだけ誠実になれるかが重要で、それは僕自身のこれからに続く課題となっていくと、しみじみと感じた。
後、そのような利他的な状態に対して、もっと自分の中で「何を優先するべきか」をその都度考えることは大事になってくると感じる。優先順位を決めて行動することで、問題に対して平行することなく向き合うことができると言うのは、人の限界を超えない為の措置なので、一旦立ち止まって吟味しようと思う。

そんなことを話してるうちにショッピングモールについて、おいしい肉を食べながら、就活の話や教育実習の話、最近会った変な人の話などをして、帰路を辿った。
一度きりの人生だから、不必要に恥は作りたく無いよねってのは的をついていたけれど、今から軌道修正できるかって考えたら、きっと難しい。これからも残念ながら恥は自然に生まれていくだろう。


さて、家に帰ってこれを書いてる今に思うのは、今日のこと以外にも、今年の夏は多くのインスピレーションが与えられたなってことだ。

これはありがたいことなんだけれど、疲れてるからゆっくり解を見出せたらいいなと思う。
平成最後の夏は、まだまだ自分を磨いていくことになりそう。