Cataphora

これまでのこと、これからのこと

御誂え向き

「自分のことなんだから自分でなんとかしなさいよ!」って何回言われて生きてきたのかよく分からないけれど、そういうニュアンスの言葉が身に染みてはいるので、大概のことは自分でできるようになった。飛躍的にできることが増えたなと思うのは19の時に始めた一人暮らしがきっかけで、20を迎えた夜だったり、21になって「何事もなく」浜松に帰った時、そこから22になるちょっと前に一人にならざるを得なかったりした時は、やっぱり誰の手も借りずに自分でなんとかしていた。

いや、多少は借りたけれど、概ね借りなかったのは、一番は自分が傲慢に見えてとても嫌だったからだと思う。

この話は「なんでもできちゃう自分すごい」みたいなことじゃなくて、そもそもその数々はちっぽけなもので誇れるものもない。できるようにした理由は自分のためで、掘り下げれば「自分を守るため」だと考えていたからだった。

でも最近思うのは、そうしたことは全て「自立」に含まれるのかってことだ。

というのも、ここ最近はそういう心構えが「やりすぎ」だったんじゃないかって、ふとぼーっとした時に思ったりする。
「ゼッテ〜幸せになる」とか、「充実してやる〜」みたいな、見てろよっていう反骨精神むき出しで生きてきたし、その上「テメェの助けはいらねえよ!」って気概でいたからこそ、非常に頑固になってしまったのだった。残念だ。

だからか、自立というか、自己を大きなものとして扱ってるだけなんじゃないかと心配、若しくは不安を抱くようになった。

頑固になっていく過程はあんまりいいものではない。「悲しみ、怒り、失望」なども溜まる一方で、結局それらは靄となって視界を遮ってくるばかりでしかない。そして目的を見失っているくせに、気づかずに「頑張らないと」っていう意識だけは抜けずに動いてしまうことが起こる。

めっちゃやだな〜って後になって気づくことが多いので、似た感情を抱いたらささっとその場から離れて、深呼吸して、コーヒーでも飲みながら空でも見ようと思う。そんで、十分に休んだら、やらなきゃいけないことをやっていこう。

こういうこと書いてないで笑